成蹊学園発祥の地 ― 2008年06月02日 17:42
四方叢書はしがき ― 2008年05月29日 10:32
四方文吉-著作 ― 2008年05月29日 10:26
四方は夜学で英語を学び、その後病院の調剤生となった。その病院で薫陶を受け奮闘努力の結果我が国123番目の歯科医となった。山口県などに出張診療を行っていたが松江市の森谷栄助の援助で松江市に移り、明治25年に四方歯科医院を開業した。
小柄で活発な四方は「歯科養生法」(明治25年)、「保歯要決」(明治27年)などを刊行したり、知識人、例えば郡是製糸会社社長の波多野鶴吉を松江に招いて講演会を主催したりと、地域の文化人として、また歯科関連団体の役員として活躍していた異色の歯科医であった。
大正10年、四方は二十数年放浪生活を続けた義弟をキリスト教精神で救ってくれた本間俊平を松江に迎え講演会を開き、その記録を『神の人』題して出版した。これも大評判となり本間の人物を広く世間に知らしめた。
四方はこのような冊子を四方叢書として出版し、その数は本間の著作を中心とし、その他に小原國芳などの著作を含めて35編を数えた。
四方文吉「喜びの帰郷」 新教育3巻10号(1917(大正6)年)
我か聲:波多野鶴吉翁
1924 , 80p, 図版4p. -- (四方叢書 ; 第1篇)
神の人:本間俊平先生
1923 , 4, 100, 8p, 図版2p. -- (四方叢書 ; 第2篇)
向上之一路 : 川合信水先生
1923 , 120, 8p, 図版2p. -- (四方叢書 ; 第3篇)
教育の革命
1925 , 122p, 図版1p. -- (四方叢書 ; 第4篇)
眞健康之基礎
1925 , 64, 7p. -- (四方叢書 ; 第5篇)
心の養生
1925 , 20, 8p. -- (四方叢書 ; 第6篇)
科學と宗教:本間先生と田中博士増訂[7]版
1933 , 154, 8p, 図版4p. -- (四方叢書 ; 第7篇)
母の信仰
1926 , 16, 8p. -- (四方叢書 ; 第9篇)
歯と健康
1931 , 86, 7p. -- (四方叢書 ; 第10篇)
六歳臼齒の保護
1930 , 16, 8p. -- (四方叢書 ; 第14篇)
咀嚼と頭腦
1931 , 14, 3p. -- (四方叢書 ; 第15篇)
齒槽膿漏
1931 , 26, 8p. -- (四方叢書 ; 第17篇)
欽仰録
1938 , 4, 4, 289p. -- (四方叢書 ; 第24篇)
山陰の聖戰 : 本間先生と田中博士
1931 , 178,6p, 図版2枚.
小柄で活発な四方は「歯科養生法」(明治25年)、「保歯要決」(明治27年)などを刊行したり、知識人、例えば郡是製糸会社社長の波多野鶴吉を松江に招いて講演会を主催したりと、地域の文化人として、また歯科関連団体の役員として活躍していた異色の歯科医であった。
大正10年、四方は二十数年放浪生活を続けた義弟をキリスト教精神で救ってくれた本間俊平を松江に迎え講演会を開き、その記録を『神の人』題して出版した。これも大評判となり本間の人物を広く世間に知らしめた。
四方はこのような冊子を四方叢書として出版し、その数は本間の著作を中心とし、その他に小原國芳などの著作を含めて35編を数えた。
四方文吉「喜びの帰郷」 新教育3巻10号(1917(大正6)年)
我か聲:波多野鶴吉翁
1924 , 80p, 図版4p. -- (四方叢書 ; 第1篇)
神の人:本間俊平先生
1923 , 4, 100, 8p, 図版2p. -- (四方叢書 ; 第2篇)
向上之一路 : 川合信水先生
1923 , 120, 8p, 図版2p. -- (四方叢書 ; 第3篇)
教育の革命
1925 , 122p, 図版1p. -- (四方叢書 ; 第4篇)
眞健康之基礎
1925 , 64, 7p. -- (四方叢書 ; 第5篇)
心の養生
1925 , 20, 8p. -- (四方叢書 ; 第6篇)
科學と宗教:本間先生と田中博士増訂[7]版
1933 , 154, 8p, 図版4p. -- (四方叢書 ; 第7篇)
母の信仰
1926 , 16, 8p. -- (四方叢書 ; 第9篇)
歯と健康
1931 , 86, 7p. -- (四方叢書 ; 第10篇)
六歳臼齒の保護
1930 , 16, 8p. -- (四方叢書 ; 第14篇)
咀嚼と頭腦
1931 , 14, 3p. -- (四方叢書 ; 第15篇)
齒槽膿漏
1931 , 26, 8p. -- (四方叢書 ; 第17篇)
欽仰録
1938 , 4, 4, 289p. -- (四方叢書 ; 第24篇)
山陰の聖戰 : 本間先生と田中博士
1931 , 178,6p, 図版2枚.