母の絵手紙2008年05月24日 00:34

母の絵手紙
母の絵手紙

祖父・祖母のお墓2008年05月24日 16:05

祖父・祖母のお墓
祖父・祖母のお墓
この後数年で名古屋に移す。

ブルーバードSSSクーペ2008年05月24日 16:08

ブルーバードSSSクーペ
ブルーバードSSSクーペ
かつての愛車。

小林一郎2008年05月24日 16:11

小林一郎
小林一郎

心の力

第一章
天高うして日月懸り、地厚うして山河横はる。日月の精、山河の霊、鍾(あつ)まりてわが心に在り。 高き天と、厚き地と、人と対して三(みつ)となる。人無くしてそれなんの天ぞ。人無くしてそれなんの地ぞ。人の心の霊なるや、もつて鬼神を動すべし。人の心の妙(たへ)なるや、もつて天地に参ずべし。燦(さん)たるかの月と日と、遥かにわが心を照す。わが心の凝りて動くや、よく日月を貫くべし。峨々たる山、漫々たる河、つねにわが心に通ふ。わが心の遠く翔(かけ)るや、よく山河を包むべし。ただ六尺の肉身に限らるる、わが心ならず。ただ五十年の生涯に、つきぬべきわが心ならず。見よ、雲に色あり、花に香(か)あり、聞け風に音あり、鳥に声あり。この中に生を託したる、われ人にこの心あり。至大至剛はこれ心力、至玄至妙はこれ心霊。ただこの心あるが故に、われ人は至上至尊なり。それ眼前の小天地は、離合聚散常ならず。われとわが身とこころとを、この中にのみ限るものは。天なる日月の精を見ず、地なる山河の霊を知らず。その精と霊とを鍾めたる、わが尊さをわれと悟らず。眼にさへぎる影を払へ、耳に塞がる塵を去れ。その影消え、その塵絶え、心はすみて鏡の如く。湛然(たんぜん)として淵の如くば、かの小天地に限られし。きのふのわれを外にして、至上至尊のわれあるを知らむ。

第二章 心に力ありといへども、養はざれば日に泯(ほろ)ぶ。心に霊ありといへども、磨かざれば日に昏(くら)む。力泯び霊昏みて、たゞ六尺(りくせき)の肉身を、天地の間に寄するのみ、哀しからずや、世俗の人。われに守る所なく、われに恃(たの)む所なければ。境によりて心うつり、物のために心揺ぐ。得るに喜び失ふに泣き、勝ちて驕り敗れて怨む。喜ぶも煩ひを生み、泣くもまた煩ひを生む。驕れば人と難を構ヘ、怨むも世と難を作(な)す。現(うつつ)にはわが身を労し、夢にはわが心とたゝかふ。かひ無きけふを送りつゝ、あすの希望に活くるを知らず。悼(いた)ましからずや、かゝるうちに、五十年の生涯盡く。心の力と心の霊と、われに備はるものぞと知らば。これを養ひ磨くべき、道おのづからこゝに開けむ。天に呼ぶも天は声なし、地に訴ふるも地は答へず。雲往き雲来る一春秋、花開き花落つ一旦暮(たんぼ)。天地を心の中に求めず、心の平和を天地に求む。たゞ一念の惑ひによりて、われから闇に入るを悟らず。みづから養ひ自ら磨けば、わがこの心わが為に。よく新なる境を作り、よく新なる生を開く。鬼神の力を假るを用ひず、鬼神の力われに在り。雷霆の威を羨むなかれ、雷霆の威もわれに存す。われを苦めしもわが心、われを救ふもまたわが心。これあるが為にわれ悩めど、これあるがゆゑにわれ獨り尊し。

第三章 観よ、明(あきらかに)に観よ、天地はこれわが家。鳥飛ぶはかの蒼々たる天、獣(けもの)走るはこれ曠々たる地。地に草木あり常に栄え、天に星辰あり高く輝く。陰晴はすなはち天の節、温涼はすなはち地の時。時たがはず節楡?(かわ)らず、萬物こゝに生を享く。聴け、静に聴け、萬有はこれわが友。?膠殿たるは風の音か、?彬溝たるは水の声か。?瀞潜はこれ地の歌、?鰯触はこれ天の楽。生ある者、生なき者、調を合せてこれに和す。春秋代り旦暮(たんぼ)移るも、かくて天地は寂莫たらず。われ人共に備はれる、この萬象に向ひて立つ。尊とからずやわが此の生、楽しからずやわが此の世。楽しきを楽しと知らず、尊きを尊しと見ず。内なる寶をよそにして、人は形ある寶を求む。求むるところいよいよ多く、失ふところますます繁し。みづから糾(な)へる迷ひの縄に、身を繋ぎまた心を繋ぐ。徳無くば堅城に居るも、堅城は身を護るに足らず。心むなしくば錦衣を着くるも、錦衣は身を飾るに足らず。権勢はたゞ悩みを増し、富貴はたゞ煩ひをなす。かくて相競ひ相争ふも、たゞこれ空しき夢ならずや。天地とともに三(みつ)となるべき、尊き心を寶として。よく篤(あつ)くこれを養ひ、能く怠らずこれを磨けば。行ふ業に力溢れ、出(いだ)す語に霊寵り。不朽の生命こゝに具す、これをぞ具の人というべき。

第四章 心の力一たび凝れば、向ふところみな靡(なび)く。鬼に逢ば鬼を服し、魔にあへば魔を降す。かの水の漲(みなぎ)るや、よく千尋?(せんじん)の岡を浸(ひた)す。たゞわが心は動かずして、高く怒濤の外に立つ。かの火の熾(さかん)なるや、よく百里の原を燎(や)く。たゞわが心は騒がずして、紅蓮(ぐれん)の焔(ほのお)の中に笑ふ。猛虎の猛きも雲に駕し得ず、蚊龍の霊なるも地に潜み難し。たゞわが心の向ふところ、敵する者無きがゆゑに。よく雲を凌ぎて高く翔り、よく地を貫きて深く潜む。放てば六合に充ちぬべく、収むればすなはち密に蔵(かく)る。かの炎帝の火龍を鞭ち、極熱の気天地を包めば。金石鎔け草樹燃え、紅海ともにあせ果てゝ。烏は翼の力を失ひ、魚はことごとく地に轉ぶ。たゞわが心一たぴ凝りて、炎熱去れよと念ずれば。清涼の境たちまち開け、涼風萬斛身をめぐる。かの沍寒(ごかん)の天地を封じ、氷雪深く山河を鎖(とざ)せば。日に熱なく月に影なく、賠?然(あんぜん)として物みな死す。血は氷りて環り流れず、肉は裂けて堕ちなんとす。たゞわが心一たび凝りて、苦寒なんぞと叱吃すれば。元気四体のほかに溢れて、陽春の候たちまち現ず。心虚なれば体危し、動けば労し行けば喘ぐ。心凝りて動ぜざれば、体ゆたかにして気飢ゑず、千里に行くも足軽く、萬鈎を荷ふも身は安し。悠々として立ち、怡々として坐す、貴きかなわが心力。

第五章 心はこれ身の王、王に威ありて国泰し。心を尊び心を養ふ、その徳すなはち身に現ず。疫?痩もこの人を襲はず、毒蛇もこの人をさ?さず。昼は煩ひ無くして居泰く、夜は夢なくして睡り穏なり、出る息よく律に合し、入る息よく呂(りょ)にかなふ。精力毛髪の末に溢れ、顔色常に嬰児のごとし。眼曇らず、足迫らず、青天を戴き大地を踏む。行けば瑞気これを護る、妖気いかでかこれを犯さむ。語ればその声雲に徹す、天童耳を傾けて聴かむ。それ心よく物を制すれば、敢て物の為に制せられず。弓を引きてわれに向ふも、われ静かにこれに封すれば。その箭(や)虚しく空を射て、さらにわが身に近づかず。戟(ほこ)をとりてわれに迫るも、われおもむろにこれを迎ふれば。刃(やいば)はわが身に加はるとも、絶えてわが血に染むことなし。われ手をあげて摩?(さしまね)けば、霧を開きて鴻雁来り。嶺を分けて築?鹿(びろく)聚?り、欣々としてわれと親しむ。われ手を揮って去れといへば、材?狼(さいろう)もその尾を垂れ。鷲?鳥(しちょう)もその爪を包み、煌々(こうこう)としてわれを避く。群りてわれを誉むるも、わが心は擾?(みだ)されず。集りてわれを毀(そし)るも、わが心は激することなし。われを玉ろう?金殿に置くも、われは悠々たり、何をか問はむ。われを深山窮谷に囚ふるもわれは怡々たり、なにをか痛まむ。身は飢うるも心は飢ゑず、身は飽くも心は飽かず。かくの如くなるを得て後、はじめてわれ獨り尊し。

第六章 心の霊一たび輝けば向ふ物みな照さる。宇宙の廣きも廣しとせず、毛髪の微なるも微といはず。われを続れる萬象は、色相もとより無限なり。形も無限。声もまた無限、香も無限、味もまた無限。かく限り無き性をそなヘ、かく限りなき時の中に。限り無き変化を示せる、萬象の中にわれ立てり。されどわが心の霊なる、これを照して敢て漏さず。あるは分ちあるは比ベ、あるは外よりあるは内より。同じき中に異を求め、異れる間に同を捉ヘ。有るによりて無きを推し、来るによりて去るを察し。果てなき微妙のはたらきに、この萬象を照し盡して。わが三寸の胸臆に、かゝる無限の相を蔵(おさ)む。六尺(りくせき)の身に宿れども、この心の翔(かけ)る所は。海を超え陸(くが)を超ヘ、天地の外に出んとす。五十年の生を享くれど、この心の通ふところは。幾萬年のいにしへより、百干劫の後におよぶ。われは古人の面(おもて)を見ざれど。古人の心に触れつべし。心と心と相触るれぱ、相見て相語るに異らず。わが友は海のそとに在れど、友の心はよくわれに感ず。心と心と相感ずれば、相共に住むと同じからずや。時は古今によりて隔たり、所は東西によりて分たる。かくしてこの身は制せらる、ただこの心は制せられず。心と心と相あふ時、吉今もなく東西もなく。無限の境をこゝに開く、妙なるかなわが心の霊。

第七章 心はこれ身の王、王聖にして国平けし、心に塵を止めざれば、森羅萬象自ら見ゆ。無象の象を観得て後、有象のものに封すれば。たゞ一滴の雫にも、風雲月露(げつろ)の象そなはる。無声の声を聴き得て後、有声のものに向ふ時は。たゞ一葉の落つるにも、自然の歌の調あり。九萬里に翔(かける)大鵬は、これ大なる物の美。桑楡に安んずる尺発?(せきあん)は、これ小なる物の美。かの北海の洪清?(こうとう)はこれ大なる調の妙。軒に響く点滴は、これ小なる調の妙。蜉蝣(ふゆう)の命の且夕(たんせき)なるも、?祖(ほうそ)の?(よわい)の千歳なるも、相対し相俟ちて、宇宙の調和をわれに示す。?晦精疎(けんかいせいそ)ことごとく、心の鏡に映じ来る。これを収めて一とせる、真の人の貴きを知れ。この心をもて事に当れば、事ごとにみな精を極む。鍬とりて耕せば、功徳の種を土に植え。市に立ちて商へぱ、人を利しまた己を利す。学べばかならずその蘊(うん)を究め、説けばかならずその秘を悉(つく)す。節?奏(しらべ)を合せて歌うたひ、筆を揮(ふる)ひて詩を成せば。天地萬有を讃じ得て、至妙の霊感を人にとゞむ。刀を手にして石に対し、彩を合せて帛(きぬ)に注げば。天地萬有の神を写して、蓑?宇(かんう)の外に人をいざなふ。戦へば勝ち、攻むれば取り、麿けば人?然として集る。あゝかくの如くなるを得て、はじめてわれ獨り尊し。

第八章 限り無き心の力を知れ、果てなき心の霊を知れ。迷ひの作れる天地の外に、真の天地のあるを見よ、われよく境を作る時は、絶えて境の為に制せられず。神の開ける国に生れ、神の後(のち)なる君に仕え、世に隻?(なら)びなき国の光に、わが踏む道はつねに照され。貴き親の恩愛に、わが住む庭はいつも潤(うるお)ふ。身に享(う)け得たる幸を、あつくわが心に保ち。ひたすらにわれ依らず、またひたすらに疎んぜず。悠々として立ち、怡々(いい)として居り、平かに思ひ、安らかに動けば。物はみなわれに親しくして、人はみなわが友たるべし。獨り在ればわれ獨り楽む、共にあれば人と共に楽む。家に在れば家栄え、門をめぐりて鳥歌ふ。村に在れば村栄え、山にも丘にも恵風(えふう)満つ。進みて国事に参ずれば、よく百年の計を立て。退きて野にをる時は、風(ふう)を改め俗を移す。撃?々たりその胸宇(きょうう)、昂?々たりその風貌。仰ぎて天に向ふときは、天の神遠く笑ひ。俯して地に視る時は、地の霊共にこれを讃ず。限りある生を享くれども、限りなき力を後にとどむ。限られし地に身を置けど、限られぬ光を長(とわ)に放つ。たれかこの力を?へし、力の泉はわれに在り。たれかこの光を?へし、求むればわが心の光、あゝ天は高く、地は厚し、われに心の霊なるあり。三(みつ)のもの永く相照す、うるはしきかな、偉(おおい)なる哉。

心の力(校正用)

第一章
天高うして日月(じつげつ)懸(か)かり、地厚うして山河横はる。
日月の精、山河の霊、鍾(あつ)まりて我が心に在り。
高き天と、厚き地と、人と対して三となる。
人無くしてそれ何の天ぞ。人無くしてそれ何の地ぞ。

人の心の霊なるや、もって鬼神を動かすべし。
人の心の妙なるや、もって天地に参ずべし。
燦(さん)たるかの月と日と、遙かに我が心を照らす。
我が心の凝(こ)りて動くや、よく日月を貫くべし。

峨々(がが)たる山、漫々たる河、常に我が心に通ふ。
我が心の遠く翔(かけ)るや、よく山河を包むべし。
ただ六尺(りくせき)の肉身に限らるる、我が心ならず。
ただ五十年の生涯に、つきぬべき我が心ならず。


見よ、雲に色あり、花に香あり、
聞け風に音あり、鳥に聲(こゑ)あり。
至大至剛(しだいしごう)はこれ心力、至玄至妙(しげんしみょう)はこれ心霊。
ただこの心あるが故に、われ人は至上至尊(しじょうしそん)なり。

それ眼前の小天地は、離合聚散(りごうしゅうさん)常ならず。
我と我が身と心とを、この中にのみ限るものは。
天なる日月の精を見ず、地なる山河の霊を知らず。
その精と霊とを鐘(あつ)めたる、わが尊さをわれと悟らず。

眼にさへぎる影をはらへ、耳に塞(ふさ)がる塵(ちり)を去れ。
その影消え、その塵(ちり)絶え、心はすみて鏡の如く。
湛然(たんぜん)として淵の如くば、かの小天地に限られし。
きのふのわれを外(よそ)にして、至上至尊のわれあるを知らむ。





第ニ章
心に力ありといへども、養はざれば日泯(ほろ)ぶ。
心に霊ありといへども、磨かざれば日に昏(くら)む。
力泯び霊昏みて、ただ六尺(りくせき)の肉身(にくしん)を、
天地の間に寄するのみ、哀しからずや、世俗の人。

われに守る所なく、われに恃(たの)む所なければ。
境(きやう)によりて心うつり、物のために心揺らぐ。
得(う)るに喜び失ふに泣き、勝ちて驕(おご)り敗れて怨む。
喜ぶも煩ひを生み、泣くもまた煩ひを生む。

驕(おご)れば人と難を構へ、怨むも世と難を作(な)す。
現(うつつ)にはわが身を労し、夢にはわが心とたたかふ。
かひ無きけふを送りつゝ、あすの希望に活(い)くるを知らず。
悼(いた)ましからずや、かゝるうちに、五十年の生涯盡(つ)く。


心の力と心の霊と、われに備はるものぞと知らば。
これを養ひ磨くべき、道おのづからこゝに開けむ。
天に呼ぶも天は声なし、地に訴ふるも地は答へず。
雲往き雲來(きた)る一春秋、花開き花落つ一旦暮(いったんぼ)。

天地を心の中(うち)に求めず、心の平和を天地に求む。
たゞ一念の惑(まど)ひによりて、われから闇に入るを悟らず。
みづから養ひ自ら磨けば、わがこの心わが為に。
よく新なる境を作り、よく新なる生を開く。

鬼神の力を假(か)るを用ひず、鬼神の力われに在り。
雷霆(らいてい)の威を羨(うらや)むなかれ、雷霆(らいてい)の威もわれに存(そん)す。
われを苦めしもわが心、われを救ふもまたわが心。
これあるが為にわれ悩めど、これあるがゆゑにわれ独り尊し。




第三章
観(み)よ、明(あきらか)に観よ、天地はこれわが家。
鳥飛ぶはかの蒼々たる天、獣走るはこれ曠(くわう)々たる地。
地に草木あり常に榮え、天に星辰(せいしん)あり高く輝く。
陰晴(いんせい)はすなはち天の節、温涼(おんりょう)はすなはち地の時。

時たがはず節渝(かは)らず、萬物(ばんもつ)こゝに生を享く。
聴け、静に聴け、萬有(ばんいう)はこれわが友。
りうしう(FONTなし)たるは風の音か、澎湃(ほうはい)たるは水の聲か。
澎湃(ほうはい)はこれ地の歌、りうしう(颶飃 FONTなし)はこれ天の樂。

生ある者、生なき者、調べを合わせてこれに和す。
春秋代り旦暮(たんぼ)移るも、かくて天地は寂莫(せきばく)たらず。
われ人共に備はれる、この萬象(ばんしょう)に向ひて立つ。
尊(たふ)とからずやわが此の生、樂しからずやわが此の世。


樂しきを樂しと知らず、尊きを尊しと見ず。
内なる寶をよそにして、人は形ある寶を求む。
求むるところいよいよ多く、失ふところますます繁し。
みづから糾(な)へる迷ひの縄に、身を繋ぎまた心を繋ぐ。

徳無くば堅城に居るも、堅城は身を護るに足らず。
心むなしくば錦衣を着くるも、錦衣は身を飾るに足らず。
権勢はたゞ悩みを増し、富貴はたゞ、煩ひをなす。
かくて相競ひ相争ふも、たゞこれ空しき夢ならずや。

天地とともに三(みつ)となるべき、尊き心を寶として。
よく篤(あつ)くこれを養ひ、能(よ)く怠らずこれを磨けば。
行ふ業に力溢れ、出(いだ)す語(ことば)に霊籠り。
不朽の生命こゝに具(ぐ)す、これをぞ眞(まこと)の人といふべき。




第四章
心の力一たび凝れば、向ふところみな靡(なび)く。
鬼に逢ば鬼を服し、魔にあへば魔を降(くだ)す。
かの水の漲(みなぎ)るや、よく千仭(せんじん)の岡を浸(ひた)す。
たゞわが心は動かずして、高く怒濤の外(ほか)に立つ。

かの火の熾(さかん)なるや、よく百里の原を燎(や)く。
たゞわが心は騒がずして、紅蓮(ぐれん)の焔の中に笑ふ。
猛虎の猛きも雲に駕し得ず、蛟蚊龍(かうりゅう)の霊なるも地に潜み難し。
たゞわが心の向ふところ、敵する者無きがゆゑに。

よく雲を凌(しの)ぎて高く翔(かけ)り、よく地を貫きて深く潜む。
放てば六合(りくがふ)に充ちぬべく、収むればすなはち密に藏る。
かの炎帝の火龍を鞭(むちう)ち、極熱の氣天地を包めば。
金石鎔(とろ)け草樹燃え、江海ともにあせ果てて。


鳥は翼の力を失ひ、魚はことごとく地に轉(まろ)ぶ。
たゞわが心一たび凝りて、炎熱去れよと念ずれば。
清涼の境たちまち開け、涼風萬斛(ばんこく)身をめぐる。
かの沍寒(ごかん)の天地を封じ、氷雪深く山河を鎖せば。

日に熱なく月に影なく、 黯然(あんぜん)として物みな死す。
血は氷(こほ)りて環(めぐ)り流れず、肉は裂けて堕ちなんとす。
たゞわが心一たび凝りて、苦寒なんぞと叱咤(しった)すれば。
元氣四體(したい)のほかに溢れて、陽春の候たちまち現ず。

心虚(きょ)なれば髄危し、動けば労し行けば喘ぐ。
心凝りて動ぜざれば、髄ゆたかにして氣飢ゑず、
千里に行くも、足輕(かろ)く、萬鈞(ばんきん)を担ふも身は安し。
悠々として立ち、怡々(いい)として座す、貴きかなわが心力。




第五章
心はこれ身の王、王に威ありて國泰(やす)し。
心を尊び心を養う、その徳すなわち身に現ず。
疫癘(えきれい)もこの人を襲わず、毒蛇もこの人を螫(さ)さず。
晝(ひる)は煩いなくして居(きょ)泰(やす)く、夜は夢なくして睡(ねむ)り穏(おだやか)なり、

出る息よく律に合し、入る息よく呂(りょ)にかなふ。
精力毛髪の末に溢れ、顔色常に嬰児(えいじ)のごとし。
眼(まなこ)曇らず、足追らず、青天を戴き大地を踏む。
行けば瑞氣(ずいき)これを護る、妖氛(ようふん)いかでかこれを犯さむ。

語ればその聲(こえ)雲に徹す、天童耳を傾けて聴かむ。
それ心よく物を制すれば、敢て物の爲に制せられず。
弓を引きてわれに向ふも、われ静かにこれに對すれば。
その箭(や)虚しく空を射て、さらにわが身に近づかず。


戟(ほこ)をとりてわれに迫るも、われおもむろにこれを迎ふれば。
刄(やいば)はわが身に加はるとも、絶えてわが血に染むことなし。
われ手をあげて靡(さしまね)けば、霧を開きて鴻雁(こうがん)來り。
嶺を分けて糜鹿(びろく)聚(あつま)り、欣々(きんきん)としてわれと親しむ。

われ手を揮(ふる)って去れといへば、豺狼(さいろう)もその尾を垂れ。
鷙鳥(してう)もその爪を包み、惶々(こうこう)としてわれを避く。
群りてわれを誉むるも、わが心は擾(みだ)されず。
集りてわれを毀(そし)るも、わが心は激することなし。

われを玉樓(ぎょくろう)金殿に置くも、われは悠々たり、何をか問はむ。
われを深山窮谷(きゅうこく)に囚(とら)ふるもわれは怡々たり、なにをか痛まむ。
身は飢うるも心は飢ゑず、身は飽くも心は飽かず。
かくの如くなるを得て後、はじめてわれ獨(ひと)り尊し。


第六章
心の霊一たび輝けば向ふ物みな照さる。
宇宙の廣(ひろ)きも廣しとせず、毛髪の徴(び)なるも微といはず。
われを繞(めぐ)れる萬象(ばんしょう)は、色相もとより無限なり。
形も無限。聲もまた無限、香も無限、味もまた無限。

かく限り無き性(せい)をそなへ、かく限りなき時の中に。
限り無き変化を示せる、萬象(ばんしょう)の中(うち)にわれ立てり。
されどわが心の霊なる、これを照して敢て漏さず。
あるは分ちあるは比べ、あるは外よりあるは内より。

同じき中(なか)に異を求め、異(ことな)れる間に同(どう)を捉へ。
有るによりて無きを推(お)し、來(きた)るによりて去るを察し。
果てなき微妙(びめう)のはたらきに、この萬象を照し盡(つく)して。
わが三寸の胸臆(きょうおく)に、かかる無限の相を藏(おさ)む。


六尺の身に宿れども、この心の翔(かけ)る所は。
海を超え陸(くが)を超え、天地の外に出んとす。
五十年の生を享(う)くれど、この心の通ふところは。
幾萬年のいにしへより百千劫(せんごふ)の後におよぶ。

われは古人(こじん)の面(おもて)を見ざれど、古人の心に觸(ふ)れつべし。
心と心と相觸(ふ)るれば、相見て相語るに異らず。
わが友は海のそとに在(あ)れど、友の心はよくわれに感ず。
心と心と相感ずれば、相共に住むと同じからずや。

時は古今(ここん)によりて隔たり、所は東西によりて分たる。
かくかくしてこの身は制せらる、ただこの心は制せられず。
心と心と相あふ時、古今もなく東西もなく。
無限の境をこゝに開く、妙なるかなわが心の霊。


第七章
心はこれ身の王、王聖にして国平(たいら)けし、
心に塵(ちり)を止めざれば、森羅萬象(しんらばんしょう)自(おのずか)ら見ゆ。
無象(むしょう)の象(しょう)を観得(みえ)て後、有象(うしょう)のものに對(たい)すれば。
ただ一滴の雫(しずく)にも、風雲月露(ふううんげつろ)の象(しょう)そなはる。

無聲(むせい)の聲(こゑ)を聴き得て後、有聲(うせい)のものに向ふ時は。
ただ一葉の落つるにも、自然の歌の調べあり。
九萬里(けうまんり)に翔(かけ)る大鵬(たいほう)は、これ大なる物の美。
桑楡(そうゆ)に安んずる尺晏鳥(せきあん)(FONTなし)は、これ小なる物の美。

かの北海の洪濤(こうたう)はこれ大なる調(しらべ)の妙(めう)。
軒に響く點滴(てんてき)は、これ小なる調の妙。
蜉蝣(ふいう)の命の旦夕(たんせき)なるも、彭祖(ほうそ)の壽(よわひ)の千歳(せんざい)なるも。
相對し相俟(ま)ちて、宇宙の調和をわれに示す。

件海精疎ことごとく、心の鏡に映じ来る。
これを収めて一(いつ)とせる、眞(まこと)の人の貴きを知れ。
この心もて事に當(あた)れば、事ごとにみな精を極む。
鍬(くわ)とりて耕せば、功徳(くどく)の種を土に植え。

市に立ちて商へば、人を利しまた己を利す。
學べばかならずその蘊(うん)を究(きは)め、説けばかならずその秘を悉(つく)す。
節奏(しらべ)を合わせて歌うたひ、筆を揮(ふる)ひて詩を成せば。
天地萬有を讃じ得て、至妙(しめう)の霊感を人にとゞむ。

刀を手にして石に對し、彩(さい)を合せて帛(きぬ)に注げば、
天地萬有(てんちばんいう)の神(しん)を冩して、寰宇(くわんう)の外(そと)に人をいざなふ。
戦えば勝ち、攻むれば取り、靡(さしまね)けば人翕然(きふぜん)として集まる。
あゝかくの如くなるを得て、はじめてわれ獨り、尊(たふと)し。


第八章
限り無き心の力を知れ、果てなき心の霊を知れ。
迷ひの作れる天地の外(ほか)に、眞(まこと)の天地のあるを見よ、
われよく境を作る時は、絶えて境の為に制せられず。
神の闢(ひら)ける國(くに)に生れ、神の後(のち)なる君に仕へ、

世に雙(なら)びなき國の光に、わが踏む道はつねに照され。
貴き親の恩愛(おんあい)に、わが住む庭はいつも潤(うるほ)ふ。
身に享(う)け得たる幸を、あつくわが心に保ち。
ひたすらにわれ依らず、またひたすらに疎(うと)んぜず。

悠々として立ち、怡々として居り、平かに思ひ、安らかに動けば。
物はみなわれに親しくして、人はみなわが友たるべし。
獨り在ればわれ獨り樂(たのし)む、共にあれば人と共に樂む。
家に在れば家榮(さか)え、門をめぐりて鳥歌ふ。


村に在れば村榮(さか)え、山にも丘にも恵風(ゑふう)満つ。
進みて國事(こくじ)に参ずれば、よく百年の計を立て。
退きて野にをる時は、風を改め俗を移す。
犖々(らくらく)たりその胸宇(きょうう)、昂々(かうかう)たりその風貌。

仰(あふ)ぎて天に向ふときは、天の神遠く笑ひ。
俯(ふ)して地に視(み)るときは、地の霊共にこれを讃ず。
限りある生を享(う)くれども、限りなき力を後(あと)にとどむ。
限られし地に身を置けど、限られぬ光を長(とは)に放つ。

たれかこの力を與(あた)へし、力の泉はわれに在り。
だれかこの光を與(あた)へし、求むればわが心の光、
あゝ天は高く、地は厚し、われに心の霊なるあり。
三(みつ)のもの永く相照す、うるはしきかな、偉(おほひ)なるかな哉。



成蹊園とは何ぞ2008年05月24日 16:18

成蹊園とは何ぞ
素山

そして叉中村君の夫人も同じ様に世話ずきであるから円満に監督が行くのである。扨てかうして中村君が今村岩崎両君の意を体し道楽的に學生の世話をしてみると。秀才は學間の方には世話はかからないで極めて樂であるが、兎角才が走ると自己本位となりやすく。人格の涵養に就ては學校は少しも留意しないので。非常に残念に思ひ、時には僕に向つて。一たい學生の世話は世話その事が美しい事と覚悟はしても、時々世話甲斐のない事實に出遇ふと心細くつい方針をかへたくなると話された事もある。どう方針をかへるのかと聞くと世話甲斐のある様にするには、學才本位を捨て人物本意にするに限る。學力は中等で人物のよい物を世話すれば世話甲斐は必ずあるからと云はれた事もあつた。實にこの考は世話甲斐のあることを望む人々に向つてのい上ヒントである。

▲が中村君は叉考なほし、學才のあるものをよく仕立たならば鬼に金棒、大に國家の爲めに盡くしうる人となろう。退嬰圭義を捨てて更に一歩をすすめて才學のあるものに人物本意の教育を施してみたいと思はれたのであつた。即ち今の一般の學校は學間をつぎこむところで、人物養成に没交渉であるゆゑ、この一般の學校の弊即ち學校は學術を教ふる所なりとの狡義を破り、一般の學校をして人格養成に留意せしむる爲めに、自ら學校を立てて、世人を警醒せしめ才學人格雨備の人材を出さうと企てられたのである。

▲この中村君の考は更に種々なる社会の欠陥と結びついて遂に無月謝で中學教育を實施して一生その卒業生を引立てやうとする企となり、岩崎今村両君の熱心なる賛成を得てこの成蹊園の外に、新に成蹊實務學校なる特種學校が、東京市外池袋に設立せられ、この學校の爲め岩崎今村爾君は更に毎年六千圓を支出せらるることになつた
のである。

成蹊実務学校設立趣旨2008年05月24日 16:20

成蹊実務学校設立趣旨

その一
現今の世ではもう初等教育だけでは世に役に立てなくなりました。然し中等教育をうけるには少なからぬ学資が入る上に左の様な欠点があるように思われます。

中学校-全く高等教育の予備で、志操の堅実なものは少なくないものの、卒業後直ちに実務に当るに適しない。

各種専門学校商業学校、農業学校-実地に応用しうべき知識技能を学び一寸役に立つものの、向上の精神に乏しく、小成に安んじ国家の中堅となる望みが少ない。
この両者の欠点を去り、美点のみをとってやりたい。即ち役にも立つし、向上の精神に富み、奮闘自研、他日高等教育を受けたものと比肩し得る人物をつくりたいとの事。

その二
教育の形式的設備の整頓に伴い修学費用が非常に多くなり、学生の風儀も日増しに奢侈になりゆくので、中流以下の子弟は中学校の学科を実際的のものとしても、その中学の課程さえ修めることができないものが非常に多いゆえ、月謝、制服、教科書等の費用をとらずに、これら不幸になる子弟のために成功の鍵を握らせたいという事。

その三
学校が工場のように規則づくめで多人数を一様に制禦する傾向ある今日、生徒の定員を減じ、懇切に教授薫陶して、各人天賦の能力を充分に発揮せしめて教育の力を充分にしたいという事。

その四
師道の廃頽は随分甚しい。かく師弟の心の共鳴の乏しくては、品性の陶冶などは到底六ヶしいゆえ、是非昔のような美しい師弟の情誼を発揮して、荒んだ教育の野に清い泉を流れしめたいという事。師弟問の情誼を厚くすることが、即ち教育の効果を偉大ならしむる所以と信じます。

右の様な考えから一つ新しい中等程度で終る実際的な学校をたてて、将来有望の少年の養成を試みたいと考えたのです。翻って杜会の現状をみると、生存競争が漸く激しくなり、貧富の差が益々甚しく自暴自棄の徒も日増しに多く、種々な危険の思想も頭を出し始めました。所謂慈善事業はこの窮状をゆるめることは事実でしょうが、これはただ病気の時の薬のようなもので、時にその薬がききすぎて弊害が起ることもないでもない。憂国の人は根本的社会救済を試みなければならないと思います。根本的救済は他でもない社会の多数に着実勤勉力行の貴むべきことを知らせると共に、その家を支え身を立てる実力を与うることです。この様な覚悟と実力とは何に依て与えらるるかというと、即ち教育にあります。ところが、その教育なるものが、国家の保護は只初等教育だけしかない今日、小学を卒業した許りでは、現今自立自活の力を与えられませぬ。こうなると、中流以下の人々は社会の進運から疎外せられて国家団結の根底を傷つくる様な危険思想は漸く彼等の間に勢力を養い来ることはやむをえますまい。私は中等教育を受けられないで泣いている数多い有為な少年に度々接して遂に微力を顧みず、現今社会の欠陥を補わんために働く一人となろうと決心した折から、岩崎・今村両君は私の微衷を容れられ、深大なる同情協賛を与えられたので、遂にこの学校を創設することとなったのです。

明治四十四年十月
賛助員
男爵岩崎小弥太 
今村繁三
設立者中村 春二

成蹊實務學校生徒諸子へ-三浦修吾2008年05月24日 16:21

成蹊實務學校生徒諸子へ
姫路師範 三浦修吾

私共は昨年夏の學課の間の時間に三浦先生の「愛の學校」を読んで多大の慰藉と教訓を得ました、それゆゑ「夏の學校」を御送りして御礼を申述べましたら次の様な丁寧な御手紙をいただきました。どうかコカゲに掲載することを御許しを願ます(實務学校生徒記)

夏の日の御勉學御労働の間に、愛の学校を御読み下すつたとか、私は何よりも幸に思ひます。ああ愛の學校のやうな心持が、この私の中にも日本中の人の心の中にも充ち渡るやうにありたい。その時日本は真に生命にみちた國となる事ができると思ふのであります。

それから、夏の學校、名から床しい、表装も極めて床しい、中の文章が吸ひつきたい程床しい。

夏の學校は頂だいた日読み了りました。何処となくエンリコさんをよむやうな心地がいたしました。そして池袋のあなたの學校の有様、とりわけ岩崎邸に於ける草とりの様が、畫をみるように私の想像の中に描かれました。私はうれしくてなりませんでした。私は成蹊實務學校の事は一寸何かの新聞でみた事はありましたけれど、深く知らないでした。今度御様子をありありと示して下すつたので、私は大なる智識と力とを得たやうに思ひます。私もさういふ學校が欲しい。私も今の學校にはあきたりないです。私も自分の學校での自分の仕事の中に、少しでも出來る丈中村先生の御心を學びたいと思ひます。そして私は大正二年の一月には東京に三週間余まゐりますから、其時には是非御邪魔にまゐり、私も皆さんに御話がいたしたい。皆さんと御知合にならして頂きたいです。

私が東京にゐました頃、ある年の秋の暮に池袋のあたりを一人で散歩いたしました。夕方でした。大きな真赤な夕日がうねりの多い平原の彼方に静かに沈んで行くのを薄の穂の白い小流のわきに立つて打跳めた事のあるのを思ひだします。美いでした。しかし何だか寂しい心もちもしました。あなた方の學校はあの野のあたりに立つてゐるであらうなど想像すると、余計になつかしくなります。美しい自然の中で、立派な先生方に擁せられて教育をうけなさるみなさんは、幸です。どうぞ其処から日本の本当の教育といふものが流れて出まするやうに私は切にいのります。

エンリコさんが縁になつて私は全國の方々の稚い人と知り合になる事ができて。勿体ない程幸です。エンリコさんに感謝しなければなりません。(大正元年十二月十三日)

こかげ
第壱巻15号

他力教育と自力教育-「導く人の為に」より2008年05月24日 16:23

6.他力教育と自力教育-「導く人の為に」より
一体今日の人は学校教育が教育の全体である如く考へてゐるけれども、学校教育は教育の一少部分に過ぎないのである。教育は学校教育-学校で受ける教育-と、社会教育-社会生活によりて受ける教育-とに分つことが出来る。人間が本当に出来上るのは社会教育によるものであり、社会教育が寧ろ教育の本体なのである。学校教育は社会敷育の準備であり予備門であつて、社会教育の出来るため即ち社会生活から教育を受けることの出来る為めに、其の用意として学校教育を授けられるのだと考ふべきものである。

社会に出て生活をとげて行く間に、接触する百般の人事や字宙の森羅万象仁よりて、死ぬる際迄も教育を受けて自己を作り上げて行くのである。学校教育は謂はゞ他力教育であつて、人によりて教育せられ、社会教育は自力教育であつて、自から自己を教育して行くのである。この自力教育が教育の本領であつて、自力教育の出来るやうにと、他力的な学校教育は施されるのである。自力教育の出来る力の基を授けてやること、自から自己を教育することの出来るやうに眼を開いてやることが、学校教育の主眼とすべき所で若し学校教育にして、此の力を典へてやることが出来ず、此の眠を開いてやることが出来なかつたら、其の学校教育は全然失敗に終つたものと云はなければならぬ。また若し幼少年の時から、自分で自分を教育し得る力と眼とを有してゐる人であつたら、かヽる人は既に学校教育有を受けるには及ばない人で、寧ろ直ちに社会生活の活きた環境の中に飛び込んで行つたがよいのである。

然るに、今時の人の多くは、教育と云へば学校教育に限るものと思ひ、学校教育を終れば、もはや教育が終つたものヽやうに考へてゐる。之れは大なる間違ひと云はなければならぬ。大学を出れば、国民として受くべき最高の教育を受け了したと思ひ、実は漸く真の教育の門に入つただけに過ぎないことに気づかず、よい気になるものばかり多いのは、当人の心得違ひにもよることであるけれど、その指導者の不心得からと云はなければならぬ。教育は一生を通じて受くべきもの人生其のものが真の学校であり、生涯に亘りて接触する自然なり人事なりが、真の大教育者であることを、被教育者に了解させ、この学校に学び、この大教師に学ふことの出来るやうに、教育者は被教育者を指導して行かなければならぬものである。この為に其の眼を開いてやり、其のカを養つてやることが、学校教育の真意義である。今日の学校に於てはこの意義が没却され、今日の教育者はこの意味での教育を為し得てはゐないやうに思はれる。

宮坂喆宗『断食と修養』序-中村春二2008年05月24日 16:24

『断食と修養』序

更に叉考ふれば造化の霊力によつて人と生れた我々の心は数多き感謝の念に充ちてゐなけれぱならないのに少しも感謝の念をもたずあまつさへ人と生れた事を咒ふものさへ出て来たことは驚くべき事実である。種々の食物を得て口腹を楽ましむることに就て感謝すべきであるのに味の良否を論じ病的味覚をますます発達させつつある今日まづ断食をして食事に就て威謝の念を痛切に起さしめねぱならぬ。

御飯をいただくといふ食事に就ての敬意ある詞が奥心から出る爲めには是非断食せねばならぬ。食事の好嫌を脱せん爲めには断食に限るのである。と同時にに私等はまづ冬一度裸体となつて酷寒を感じ衣服に対してて威謝しなければならぬ。又一度聴を断じ無言の行をして唖者聾者たらざりしことを感謝し又視を断じて盲者と生れざりし幸を感謝しなければならぬ。

更に人と断ちて山間に一ヶ月の孤独の生活を送つたら慈悲の念は求めずして起り人類は互に相憐み相助けざるべからざることを痛切に感ずるであらう。現今世界の大戦争は文明開化の費すべき当然の結果である。世界人類の反省を促す爲には妥協的平和は寧ろ害となる。真実心の底から我々の誤つた考であつた事に気がついた場合戦争災害は精神的救済の神である。人道一新の鍵であると思ふ。

かう考へると断食の修業は即ち造化に対して感謝の念を深からしめ森羅万象の微妙の働きに渇仰の眼を向けしめることが出来るのである。造化の造られた人類より遙かに遠ざかった文明の開化人たる我等はまづ「断」の一字っを深く考へて天地万有に対し感謝に充てる心を恢復しなければならぬ。

大正七年七月二〇日成蹊学園中村春二

小瀬松次郎-著書2008年05月24日 16:29

成蹊小學校の一年間 / 小瀬松次郎著. -- 成蹊學校, 1917

子供の心 / 小瀬松次郎著. -- 成蹊學園出版部, 1920. -- (成蹊叢書 ; 第5編

蘆笛集 / 小瀬松次郎著. -- 成蹊学園, 1919