教育に応用したる凝念法(抄)2008年05月23日 20:23

教育に応用したる凝念法(抄)

当局から凝念法を封じて一切やってはならぬと云ひ渡されたとしたら、私は教育事業をやめる。

凝念法の目的とするところは
1生徒の注意力集中
2生徒の自発的精神の極養
3心身一致の実地研究と指導
が、その主となるものである。これより具体的方法を述べて一々その説明を下したいと思ふ。

凝念法のやり方
坐していても腰かけて居ても宜しい。腰かけていると力を入れるとき腰掛が損じやすい故余程頑丈なのを用ひなければならぬ。立ってやってもよろしい。但し立つ場合は、両足をふんばりフラフラせぬやうに体を構へなければならぬ。

坐。力の入れ方始め困難なり。又最初両脚いたみしびれる恐あり、されど狎るれば差支なく行動自由なり。我国には坐する場合多き故、坐り方の稽古ともなるべし。

腰掛。坐するより力の入れ方楽なれども、腰掛が気になり束縛せらるる傾向あり。されど学校にては学課の間直に行ふを得る便利あり。
立。力を腹部に入るるには最も都合よけれど、身躰不安定ゆえ一心に力を入れにくきは欠点なり。

それぞれ得失あることゆえ、学校としては、平常腰掛に掛けて行はすることと上し、一週間に1、2回裁縫室あたりに坐して試みしめ、腹部に力を入れさする。

1.瞑目
坐るか腰かけるかして扨て両眼を閉じる。目を閉じる理由は外界の刺激を避ける為めである。外界と絶縁の為めである。大人にあっては眼を閉(ちに点々)ると却って心的作用が旺盛になる傾向があるが、子供は眼を閉じると気が静まるものである。それ故教室で生徒の注意が乱れかかった時瞑目させると気が落付くゆえ、時々瞑目さすることが必要である。

2.両手の置き方
雨手は図のやうに左右の手をかろく結ぶ。。これは手がブラブラするのを防ぐ為めで肩は張らず、手はゆったりと、力を抜いて両膝の間におく。

3.姿勢の事
姿勢は格別八釜しく云っていない。唯胸を張り出す(小学生の気をつけの姿勢のやうに)と腹部に力が入れにくいゆえ胸を張らず、最初はむしろ胸を少しく引いてすらりと坐ればよいと思ふ。要領は腹に力がよく入るやうな姿勢を工夫するがよい。(5節参考)

4.呼吸の事
呼吸は唯普通にして極めてかろくする。深呼吸でやってはいけない。出す時腹を張ったり引込めたりでなく、腹部に関係せぬやうに息は軽く咽喉のところで用をたすやうに工夫することが必要である。つまり呼吸を腹と関係がないやうにするのである。

附言。呼吸法に就ては二木氏式岡田氏式との流儀があり、又藤田氏式のやうな区別もあるが凝念法では呼吸に就ては重く考へていない。腹に力がはいるやうになれば呼吸は自然に調って来るゆえ、最初腹部に関係しない様にして腹部に力を充分集めるやうに指導している。又姿勢も腹部に力入れやすい姿勢を取らしておく。これも狎るれば自然に端正の姿勢を取るやうになる。始めから姿勢を重くし呼吸を八釜しくいふと肝心な腹部に力を入れることがおろそかになる傾向がある。

5.腹に力を入れること
どういう風に腹に力を入れるかといふと、唯グーッと力む、この際注意することは胃がふくれないやうにして下腹に力を入れさせる。初めの間は体の講へ方を正しくすると下腹に力が入りにくい故、最初は少し猫背にした方がやり易い。そして下腹一ぱいに力をこめるのである。若し自分で力を入れにくいものがあったら師は児童の腹を押して力を入れなければならぬやうに指導することが必要である。そうするとやがて顔が赤くなり汗が出る。若しこれでも充分に力まなければ、児童を壁か柱を背にしてグングン突くがよい。すると必ず痛いと喞うであらう。その時痛くば力を入れよ、力を入れずば骨まで突込むぞ位に迫れば防禦上ウント力んで来る。突際指導してみると、優等生は腹に手をあてずとも直に力んで顔が赤くなるが劣等生は力を入れることさへ容易でない。このやうな情ない意気込では、勉強に熱中しないのも無理はない。随って学業の劣等なのも当然といふことがわかるであらう。それ故注意散漫な劣等生は特に時々1人1人腹を押して精神と腹に凝らせるやうに指導すべきである。これに就て序ながら赤子の時充分に泣かせると云ふことは必要である。中流以上の可愛がられて育てられた児は腹力が充分でない。可愛がられた児が自奮的気象のないと云ふ一大原因として赤子の時充分に泣かなかった為めではあるまいか。実際赤子の精神集中は泣く時に養成せらるるのである。泣かんとすれば直にあやす母、叔母、乳母、仲働を周囲に持っている。中流以上の子弟は幼より世渡りの一大秘訣を人為的に教へられないのである。泣かせずに育てる法などは実際誤っている。大に泣かせて育てなければならぬ。

6、凝念の時の心の持方
端坐瞑目しているときは前述のやうに腹部に力を入れているのであるが、何か考へているのかといふ質間をよくうける。この時間は別に公案などを考へているのではない。唯々腹部に力を入れることを一生懸命でつとめているのである。ここがよいところと思ふ。児童には種々な理屈を考へて頭をなやますのもよくないし、さうかといって何も考へるなといったところでそれが極めて六ケ敷い事ゆえ、考を凡て腹部に力を入れることで凝らせるのである。すると比較的容易に精神の統一が出来る。若し統一が出来ない場合は誰かに腹部を強く押してもらへば知らず知らずそこに気が集まる便利もある。又生理上から云っても腹都に力を入れると血液の循環がよくなって全身に新鮮な血がめぐり気が晴れ晴れとして来るのである。

7.凝念の時間
成蹊校では春秋は午前7時半から20分間する。夏は零時30分から20分冬は午前7時半から30分間する。冬は裸体で夏は綿入を着させている。これは腹部に力を入れる場合寒暑に対して対抗して修行の精神を充実させると同時に寒暑から脱却させる指導を与へる為めである。時聞は30分位が適度のやうに思はれる。(現在は時間が少しかはっている)

8.凝念の終の深呼吸
凝念30分の終りに充分に息を吸込んで一(イチ)といふ掛声ではきだす。次に両手を背の方に廻してつかみ合ひ又充分に息を吸ひ次に之をはきだす。この動作をする為めに身躰を前後にまげる。この深呼吸をするのは坐って凝念する場合、呼吸はなるべく軽くする為め肺の運動にはならず胸部を狭くする傾向がある故、この欠点を救ふ為めに深呼吸をして肺の運動をさせ胸部の発達を計っている。扨て一人一人指導の要領がわかったら、生徒を集めての団体の指導を説明しよう。

多人数の指導
多人数を集めて凝念法を行ふと、気の散る生徒は時々薄目を開いて身の廻りを偵察するものがあらう。又平気で泰然自若としているものもあらう。薄目を開く生徒は気の散る生徒で精神が腹に凝っていない証拠ゆえ、一々その生徒の前面にゆき腹を押して凝らせる指導を与へなければならぬ。すると力む生徒の息が迫って来る。
 前述のやうに胃のところに力が凝らぬやうに注意して胃が苦しいと訴へる生徒には胃の辺をなでおろし下腹に力集まるといふ暗示を与へる。顔が赤くなり、息がせまって来るとよいのである。一生懸命に下腹に力を入れると始め一寸苦しいがそのうちに苦味が忘られて血液の活溌な運動から新鮮な血は全身に行きわたって爽快な感じをおこすのである。この場合適当に力が入らず、どこかに血液の循環にわだかまりが起ると、人々により処々に痛みの起ることがある。後頭部とか胃、横腹、背髄、首筋、肩、両脚のしびれ等が主である。
 この際当人に痛みを気にせぬやうにせよといひ教員は両手で摩擦して癒ゆるといふ暗示を与へる。この時指導者たる師は慥かに癒ゆるといふ自信を自ら抱かなければならぬ。教育者が慥かに癒えさせるという自信を抱けば必ず癒える。といふと一寸変にきこえるが、一たい痛くなるといふのをよく考へてみるがよい。そこここに痛を生ずるといふのも何かの支障が出来たためである。とすればその障りを取去り得れば痛も癒えるのが当然である。
 子供が先生に心を任した場合、先生の自信は生徒の精神を整へ物質的の変化を起す故、癒えるのが当然である。この辺の消息を実際で感得すると教育といふものに師弟の心の共鳴といふことがどれだけ大切であるかといふ事もわかり、若し心の共鳴がなかったら教育といふものが貧弱であるわけが泌々と感ぜられ、今教育の欠陥が明らかにわかるであらう。かうして生徒一同が皆腹に力を集中することが出来たら先づ凝念法の第1歩は踏み込み得たと云ってよい。然しこの第1歩も兎もすると退却することがある故、一刻も油断せず個性的に注意を払はなければならぬ。
 都合のよいことにはこの順に力を入れると最初は一寸苦しいが前述のやうに心身が爽快になる。そのわけは力むからして血液の循環が活溌となり細い血脈のところまで新鮮な血が活溌に行渡るので恰度酒を飲むだ時のやう又湯にでも入った時と同じく、気が冴えて来るのである。それゆえ腹に力を入れるといふことは永久の苦痛でなく血液の運行が活溌となると共に力を入れる為めの骨折苦痛が漸次緩和されてやがて爽快の味を味はふ事が出来るのである。扨てかく腹に力が入ったとして更に第二歩に入る前に何故腹に力を入れさすかといふ事を少しく説明するのが当然と思ふ。

腹に力を入れさす理由
 凝念法で腹に力を入れる理由は簡単である。精神を凝らす簡便な1方法として行ふのである。実際腹に力を入れるといろいろな普通の人が不思議と思はるる影響がある。しかしこれは腹部の力の結果であるが、更に腹部の力が何故かかる結果影響を来すかと更に研究する必要があらうと思ふ。かう考へてみると腹に力を入れて養成する精神の統一が非常に尊いものであるといふことがわからう。そしたら呼吸や姿勢なども大した間題でなく腹力も大した問題でない事がわからう。
 大切なのは精神の問題である。精神は目にみえないのでつい形式の事共が大切に取扱はれるやうになり形だけ真似たところで精神の統一が出来なければ何の効もない事となるのは勿論である。それ故余は腹部に秘密が籠っているとは思はない。腹に力を入れるといふのは悟道の唯一の方法とは信じない。然しながら精神集中の練習としては腹に力を入れる方法は最も簡便で有効のものと信ずる。
 坐禅の公案も同じで公案そのものが尊いのではない。公案で精神を練り、統一の境地に誘ふことが意味があるのである。それゆえ公案は精神を統一しなければ出来ないやうな題ばかりを選んである。公案に捉はれないやうに腹に捉はれないやうに教育でも形式の教授法や書籍など捉はれない覚悟が必要である。

精神集中の方法としての腹力
 坐禅の公案といふものも一種の精神集中の方法でこれは頭脳で精神を集中する練習をするのである。それゆえ探究心の盛なものは頭脳で凝ることは興味のあることである故、自らすすんで凝るが児童に於ては不適当である。この他競技に凝るのも一方法であるが、競技には勝負が伴ふので精神を過労させ身体を過労させる欠点がある。
 序ながら云ふが体育の、点から運動を奨励するのはよいが、勝負の為めに生徒は精神を過労することに気がつかないの遺憾の至である。この点が体育が盛になりながら健康状態が漸次に下降する一困と思ふ。かうなって来ては何の為めの運動奨励だかわからなくなる。身体を運動さすれば体育となると教育者は考へているが精神の置処がチャンとしていない場合運動は却って身心を損ふといふ事に気がつかない。それは恰度自発的ならぬ注入的教育は却って教育そのものを軽んぜしめるといふのと同じ理由である。例へて云へば神経衰弱者に運動をすすめると病勢は増して来るのと同じである。
 現今の生徒は知行不合一の状態にある故心身合一の点を注意してやらないで唯運動をすすめたら却って過労させて心身を損ふに至る。この意味がわかったら体育の場合、勝負の念の為め過労をさけ体操の時は体操に没頭するやうな指導をしなければ体育問題は年々深い研究はされるにも係らず、結果は反対に向き年々壮丁の虚弱の度を増すこととなるのである。
 体育の根本問題は智育と同じやうに精神の置方である。昔の武道の終局の目的と同じやうに、油断や隙のない精神状態である。風邪は万病の源泉となるものであるが、その風邪は実際どうして引くかといふと心の油断に外ならない。寒気にあたって風邪を引いたといふけれど、寒風凛烈の時裸体でいても心掛一つで風邪を引きはしない。風邪を引くのは心の油断からである。門戸の締がわるいから風邪の神が入り込んで来たので、厳重なる囲の内に盗賊の入りこまぬやうに隙ない充実した精神がひとり体育ばかりでない教育の根本目的と思ふ。
 扱て問題は前にもどって技芸に凝るのもよいが、生来不器用なものは技芸に凝ることが出来ない。学問に凝るのもよいが、趣味のないものにはそれも出来ない。翻って考へてみると一技一芸に秀づるものはどこかに慥かりしたところがあって頑固な点がある。これは別に頑固といふわけではないが、一技一芸に秀づるやうになったのは精神の集中でなったゆえ、つまり心の用ひ方が一方に凝る癖がついている。それ故自分がかうだと思ふと一心にさう思ふゆえ、一度自分が思ったことは容易に翻さない為めである。
 今精神集中の必要をこ上で述べる必要はあるまいが。一体心の持ち方といふやうな事は子供の時から種々教へられているが、唯教へられているばかしで実際の指導といふものは余り受けていない為に、実際の場合となるとさっぱり智識や学間が役に立たず、却って煩悶を強めるのである。学べるを悔ゆるといふのはつまり煩悶するから一層知らぬ方がよかったと思ふのである。
 これは畢寛実地指導を怠った結果で、若し実行に注意したら学べるを悦びこそすれ決して悔ゆるやうな事はない筈である。云ひかへれば今の教育は吾人の精神の点に就て考へることを怠っている。我々がかうせよと教へる以上、生徒がかうしたいとか、かうせなければならぬとか思ったら、そう出来るやうに指導しなければならないのにその点は一向注意していない。先生はかうせよといふ事でさへ生徒の頭には入らぬ事が度々あるから驚く。これは更に後に述べるとして、このやうに今の教育では精神方面を閑却した為めに煩脳をするやうに教育されている。
 この欠陥を救ふためには精神集中の練習をして前述の如く土台を竪固に築きあげなければならぬ。精神集中の点が今の我が国民全体に通じている欠点で、この欠けている精神集中の練習としては腹力が最もよいのである。腹力で精神集中の指導をするのである。

三浦修吾『教育者の思想と生活』目次2008年05月23日 20:27

1.教育者の思想
思想と生活 8、5、11
自立論        6、1、23
教育と宗教 6、2、15
人と事業        6、5
人と職業        6、6
徹底と真実 6、4
教育者の資格 6、9
教育者としての努力 6、10
教ふる人学ぶ人 6、11
天職        6、12
精神生活と云ふこと
生きるための思想 7、2、14
読書について
労働と知識
師弟の情誼
真実の心
自発的精神 7、5、12
登山の資格 7、7、15

2.教育者の随感
好き嫌らひ 6、11
最も警戒を要する時 6、
瞥見録        6、11
若葉の栄ゆる頃 6、4、22
俯仰天地        6、12
独居        明治42、10、22
或る若き教師に
汝の運命を喜べ

3.学校教師と生活
教育者と学校教師
学校教師と経済生活 7、3

4.N子の臨終まで
N子の臨終 明治44、6
亡児を弔ふ 元、8、9
幼き時の彼れ 6、10

はなです-72008年05月23日 20:35

はな
はな

はなです-82008年05月23日 20:36

はな
はな

桂田金造-著書2008年05月23日 20:38

1.學校へ入れる迄の教育 / 桂田金造著. -- 成蹊學校出版部, 1918

2.尋常一年の綴り方 / 桂田金造著. -- 成蹊學校, 1917

3.趣味の小学国史 / 桂田金造著 ;
尋常 5年 上 - 尋常 6年 上.
文教書院, 1922. -- (自学文庫 ; 第1,2編)

4.中学校・女学校・実業諸学校入学試験まとまった知識を得る綴方準備の仕上げ/ 桂田金造編著. -- 南海書院, 1921

三浦修吾「言と行」2008年05月23日 20:41

1917(大正6)年、3、1

言と行

言ふだけで行はなければ駄目だとよく云はれて來た。筆や口だけの人はつまらない、実行の人でなくては価値がないと、多くの人は考へてゐる。教育家などはさういふことをよく云つてゐる。けれど、言葉は決して価値のないものではない。力のないものでもない。むしろ行ふことが出來ないから言ふのである。言はなければならぬのである。実行することが出來れば、もはや言ふ必要はなくなるのである。

ラスキンの書いたものの中に、風景画家のコローが言つたことで、「自分は書き得ることについては何にも言はない、書けないことについては言ふのだ」といふことがあつた。思想するといふ事は、一の實行である。之れを言葉や文宇に発表することも、一の實行であるのである。

心にもないことを言ふ、それは虚偽である。これには無論価値もなければ力もなく、多くの場合さまざまの悪い事を伴ふ。けれど、心に起るといふこと、之を発表するといふこと。行ひの上に発表することが出來ないから、口や筆で発表するといふことは、やはり実行であつて、狭い意味での実行に比べて、価値の上からも、力の上からも、決して劣るものではないのである。

一人の人の心に生れた思想は、何処にかその表現を求めずには止まない。内部の思想が言葉によつて外に現れる。文章によつて他に伝へられる。それが他の人々の心にはいりてそこに新しき生命を起す。然してそれが實行となつて体形の上に現はされることになる。一人の思想したことが、百千人の実行の原理となることがある。百千人の思想が、凝結して、一個の人格によつて体現せられることがある。イスラエルの國に、ああした多くの豫言者が出て、彼の如き熟烈の言葉をなさなかつたら、キリストとい人は出なかつたであつたらう。

すべて人々によつて大なることの成されるはじめには必ず思想した人があり、之を口にし筆にした人があつたのである。事の爲されるはじめは何時も言論である。日本の明治の維新が成されるまでには、どれだけ多くの人が熱烈の言論をなしたことであらう。人類の歴史は言論と実行との繰り返しによつて開展して來たものである。

ルソーは言論家であつた。実行家ではなつた。けれど、火のやうな彼の思想と言葉とは、どれだけの変動を社会生活の上に惹き起さしめてゐるか。實行の出來ないのは、思想する人の体質(コンスティテユション)によることもある。時代のまだ時を得てゐないのによることもある。ルソーの場合は其の両方があつたのであらう。

實行が出來ないから、其の思想は益々内に強められ深められて、言葉や筆の上?にその出口を求めて、燃えるやうに湧くやうに外に表現されるのである。すでにこれを事實の上に行ふことが出來た時には、言論すべきことはなくなるわけで、言論を去つて、世は實行の時代に入るのである。されど奮きが既に實行された時には、更に新しい言論があらはれて來る。世はいつも實行の時代であつて、何時も言論の時代なのである。世にはいつも実行の人があり、又いつも言論の人があるのである。言論は實行を惹超し、實行は又新たな言論をひき超すのである。言論の人必ずしも實行の人でなく、實行の人が必ずしも言論の人ではない。實行の人は貴とく、言論の人は無価値だといふものではない。實行しなければならぬ人は實行すべきである。言論をしなければならぬ人は言論をすべきである。實行すべときがある。言論をすべき時がある。實行のできて言論の出來ない時がある。言論の出來て実行の出來ない時がある。言論をすべく生れて來た人がある。實行をすべく生れて來た人がある。

言論は豫言である。言論の人は豫言者である。一人の豫言者は、千百人の實行家を出し得るであらう。千百人の豫言者いでて、一人の実行家を出すことがあるであらう。言論の人の口と筆とに、燃ゆる火の如き力あらしめよ。湧出する泉の如き勢あらしめよ。言論者の目に、炬の如き光りあらしめよ。實行の出來ざるが故に、言論の人を軽視する勿れ。實行の出來ざるが故に、言論の人は自からを卑下すること勿れ、寧ろその言論の透徹せざらん事を悲しまなければならぬ。何物の上にかその表現を得なければ止まないのが生命の本質である。思想は生命である。生命の芽生である。何処にか如何なる形にてか、それが表現されずに止むものではない。實行する人は、止むを得ぬ力に促がされて實行するのである如く、言論をする人は、止むを得ぬ力に促がされて言論をするのである。實行も言論も止むを得ずして表はれるもの、生命の表現でなければならぬ。
(大正五、一一、一五)

児玉九十『この道50年』より2008年05月23日 20:44

この道50年 児玉九十

二、精神根底培養としての凝念、心力歌

体操や教練は、不動の姿勢即ち不動の精神を出発起点として居る。剣道でも体を交して、正眼に構えた不動の精神状態に根本を置いて居る。不動の姿勢は、体操、教練、武道のみに限った事でなく、能、狂言の如き芸事、其の他、一切の人間の活動は、仔紬に観察するならば、其の発足、根本を不動の姿勢即ち不動心に置かぬものはないのである。

体験教育の目的は、心身の一如にあるのであるが、其の一如の境地に到達する階梯としては、精神の統制、心田の開耕から出発の必要なる事は、人間活動の原則から言って当然の事である。

其の精神の統制、即ち心の整え方には色々な方法があると思う。神仏に礼拝祈願して掛るもよい。基督教の如く、常に神に吾が正念活躍を祈るもいい。又、或る故人が実行した如く、柱の節孔を定めて置いて、通過の度毎に、共の節孔を睨め付けて、眼カを練リながら心を整えたという様な方法もある。

斯く、方法は色々あって、如何なる方法でもいいと思うが、本校に於ては、之を凝念法という形に於て、毎朝毎夜、講堂に集って、職員、生徒、一緒になって実行している。

凝念のやり方は、端座(椅子、腰掛等に於ては腰を掛かけてもよし、立ったままでもやれる。何れの場合でも、身体を安定の位置に置き、端正なる姿勢を取ることが必要である)瞑目して、丹田に力を込めると同時に、精神を丹田の一点に集注せんと努力するのである。形式は静座に類し、精神は坐禅に近いものである。

斯様な方法に依って、精神統一の練習を積み、心を平静ならしめ、心を本心そのものの状態に置こうとするのである。形式はさして難事ではないが、雑念去って精神統一され不動の状態に入る事は容易な事ではない。併し此の様な精神統一の練習を続ける事に依って、段々と、精神に落着が生じ、泰然たる態度が自然に現れ、学習、作業運動等、何事に対しても、精神の集注力がよくなってくる。

斯く如く、吾々の知識の育つ苗圃を平静にし、雑念を去り、整った、統一した状態にして、知識を摂取せしめ且つ充分伸展せしめたい。そして、此の落着き払った、集注力強き精神を、一切活動の原動力としたいというのが、凝念の着眼点である。

凝念に於いては、精神統一をなすのであるが、其の精神即ち心とは何かという事を示したものが心力歌である。

心力歌には心の絶対境を示して、心の完全無欠の状態、即ち吾々の修養に依って、美化、純化、聖化された心の極致、心の神性を歌ったものである。

かくの如き尊き心という宝は、何人も所有して居るのであるが、その宝は吾々の修養に依り、光を発揮するのであるから、常に、学習、作業、その他、一切の吾々の活動、努力に依り、心を磨く事を力むべきであるという念を、心力歌の合唱に依り一層強からしめるのである。即ち、心力歌により、各自所有の心力の偉大さと、其の偉力、錬磨の必要を自覚せしめ、凝念に依りて錬磨実行の門に入らしめ、かくして得たる結果を、挙習、作業を初めとして、一切の目常生活に活現せしめたいのである。

凝念にしても、心力歌にしても、精神が大躍動する準備としての落着を目的とするが故に、徹底的に静寂を尊ぶのである。此のしんとした静けさを現出する為めには、凝念、心力歌、実施の際の凡てを静寂そのものを現出し得る様な方法にせねばならぬ。

静は東洋文明の特長であり、動は西洋文明の特長である。それ故、静寂なる気分を日本人の頭にピンと響かすためには、東洋楽器、東洋楽譜が必要になって来る。凝念の時に、鏧子という鐘を用うるのは、此の鐘の音が、東洋楽器中でも、最も取扱い易く、然も、音色に、さびと潤があって、其の軟き響は、凡ての人の心を鎮静せしむる特長があるからである。又、心カ歌の節を、お経に似た譜にしたのも、鏧子と同様、鎮静を尊ぶ心から、かくしたのである。

尚、凝念、心力歌合唱の際の静かな、落着いた雰囲気は、吾々の精神を、内観、内省に導き、自然と敬虔の念が湧き来るものである。此の敬虔の念を養う事は、人間天賦の宗教性の培養に至大の関係があるので、凝念、心力歌は一方から見れば、宗教教育の基礎教育にもなって居るのである。

芦田恵之助(えのすけ)-著書2008年05月23日 20:54

芦田 恵之助
芦田恵之助先生綴方教室
〔芦田 恵之助著〕 ,他
文化評論出版

綴り方教授法 綴り方教授に関する教師の修養(教育の名著 7)
芦田 恵之助著
玉川大学出版部

近代日本教育論集 5 児童観の展開
国土社

近代日本教育論集 6 教師像の展開
国土社

教式と教壇 綴り方教授(国語教育名著選集 2)
芦田 恵之助著
明治図書出版

尋常小学国語小読本 巻7
芦田 惠之助著
蘆田書店

綴り方教授
蘆田 恵之助著
香芸館出版部

読み方教授
蘆田 恵之助著
育英書院

垣内先生の御指導を仰ぐ記(同志同行叢書 第1編)
芦田 惠之助編修
同志同行社

風鈴(教壇叢書 第1冊)
芦田 惠之助〔編〕
惠雨会

小倉講演綴方教授の解決
芦田 惠之助講演 ,他
目黒書店

恵雨読方教壇
芦田 恵之助著
同志同行社

恵雨自伝 上
芦田 恵之助著
実践社

恵雨自伝 下 共に育ちましょう
芦田 恵之助著
実践社

芦田惠之助国語教育全集 1 明治期実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 2 綴り方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 3 綴り方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 4 綴り方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 5 綴り方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 6 綴り方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 7 読み方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 8 読み方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 9 読み方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 10 読み方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 11 読み方実践編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 12 易行道・教壇・教式編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田恵之助先生七十八歳の教壇記録
芦田 恵之助〔述〕 ,他
いずみ会

芦田恵之助先生鈴木佑治先生教壇記録と講話
芦田 恵之助著 ,他
いずみ会

芦田惠之助国語教育全集 13 教科書編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 14 教材研究編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 15 教材研究編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 16 教材研究編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 17 教材研究編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 18 教材研究編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 19 教材研究編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 20 教材研究編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 21 教材研究編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 22 恵雨紀行・行脚編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 23 戦後授業編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 24 恵雨書簡・語録編
芦田 惠之助著
明治図書出版

芦田惠之助国語教育全集 25 自伝・年譜・著述目録編
芦田 惠之助著
明治図書出版

国語教育講座 11 国語教育問題史
国語教育講座編集委員会編集
刀江書院

文天祥(教壇叢書 第4冊)
芦田 惠之助〔編〕
惠雨会

教式と教壇
芦田 恵之助著
惠雨会

芦田恵之助先生選集
芦田 恵之助著
いずみ会

「北方教育」創刊前後-滑川道夫2008年05月23日 20:57

北方教育-実践と証言-
北方教育同人懇話会編
東京法令昭和54年
「北方教育」創刊前後
滑川道夫

・・・三浦修吾(みうら・しゅうご)の『学校教師論』は大正六年に出版されていたが、先輩に借りて読んで感動したことを思い出す。自叙伝的な教師論で、人生論的で、経験を土台にしての教師論であった。教科書にある観念的な教師論とはまったくちがったものであった。紀平正美の人格哲学が背後に在ったような気がする。学校の教科書などの知識は大したことがないので、実際の教育的事実に目を向けて研究しなければならないことが書かれていた。いまの教育は生徒の内生活と没交渉であるから、生徒に重荷になることがあっても、その力になることがないと書かれていて、なんどもうなずいて、アンダーラィンを引いたものである。この本のなかで、著者が個性を圧する作文教授をなげいて、名文や能文を書かせるのではなく、ほんとうの文章を書かせるべきだと、来訪の師範生に語るところがあった。自分の生活から自然に出てきた文章がいいのだ、自分の生活をあらわした文章であったら名文だ、という意味のことが書かれていた。これが私の最初に経験した綴り方教育開眼といっていいものである。こういう考えかたは大正六年以前にもあったかもしれないが、私が出会った最初のものであった。その例として、成蹊小学校の作文があげられていた。そのときは後年私が成蹊小学校に勤務するなどとは夢にも思っていなかったし、成蹊という活字印刷の文字に接した最初であった。師範の生徒時代に中村春二園長の講演を聞いたことがあった。精神統一法を説いて、魔術みたいに掌や耳に針をつきさして血が出ないのを見せた。時代離れをしているようで、ちゃらんぼらんにうわの空で話を聞いたように思う。その成蹊に昭和七年に赴任することになるのだから、ふしぎといえばふしぎな出会いといえそうだ。その成蹊小学児童の作文というのは、後年、私が成蹊学園教育研究所長時代、史料をあさっていたら、成蹊教育運動の機関誌『新教育』に載っていた。この綴り方が書かれたのは『赤い鳥』が創刊される一年前の大正六年である。芦田恵之助が『新教育』(第二巻第三号)に「与えられたる天地に個性を発揮せよ」と訴えた年である。三浦修吾は『新教育』誌上の「電信ばしら」の文章を読んで、つぎのような感想を寄せていることがわかった。

「私の年来期待していたものがはじめてここにあらはれてゐると思った。……真実の文をかくことを子供に教へ得る教師は教育の全体をよく行ひ得る教師である。」(大正六年十月三十一日)

この作品を指導したのは、成蹊小学校訓導桂田金造(かつらだ・きんぞう)で、芦田恵之助の『綴方十ニケ月』や『尋常小学校綴方教授書』(巻一)よりも早い時点で『尋常一年の綴方』(大正六年十一月二十日刊)を世に問うて、文章主義や写生主義を克服して、綴り方は生活に立脚する自己の発表、ただそれ以外の何ものでもないと喝破している。これは卓見であった。これも後で発見したことであるが三浦修吾は、成蹊実務学校の作文の教師をしていたことがある。とにかくこの『学校教師論』は、新卒の私に教育のむずかしさとともに、教育者の生きがいを感じさせたと思う。この感動を、山本郡鶴形小学校に勤務する佐々木太一郎(昂)や河辺郡にいる堀井喜一郎に書き送ったのである。

電信ばしら
成蹊小学校二年 納村泰二

学校の前に、電信柱がたくさん立ってゐます。太いのもあ
れば、細いのもあります。又線がくものすの様にたくさんつ
いてゐるのもあれば、少ししかついてゐないのもあります。
あの線があれば、どこにでも電気がつたはるのだから、面白
うございます。電気はどうしてつたはるのでせう。電信ばし
らは、ふしぎなものです。そばに行ってしづかにきいてゐる
と、いつもゴウゴウとうなってゐます。あの音はなんでせう。
電信ばしらには、鳥がとまってゐることがあります。又工夫
がのぼってゐることもあります。ちかごろでは、よく、凧の
やぶれたのがひっかかってゐます。(終)

成蹊園について2008年05月23日 22:26

成蹊園について
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